ropolis note

社畜、ニート、海外滞在などの経験をもとに、自分なりの人生に対する考え、哲学をお届けします。

留学レポ#6 -語学学校-

学校生活について書く前に

重要なとこが抜けていたので書く。

 

 ▼前回の記事

ropolis.hatenablog.com

 

 

そもそも、なんでフィジーを留学先に選んだかを書くのを忘れていた。

 

結論から言うと、「安かったから」。

 

元々海外に憧れていたり、行ってみたい国があるわけではなかった。英語圏であるならばどこでもよかったというのが正直なところである。

 

 

初めはオーストラリアのワーホリに行こうと考えていた。

その時点では全くの無知だったので安直に決めていたのだが、費用や目的など様々な要素を照らし合わせた結果、

英語圏であり、面白そうな文化を学べそうで、そして安い。」

 

そんな要望に最もフィットしていたのがフィジー留学であった。

 

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ということで本題。以前そこまで詳しく触れなかった学校生活について。

 

 

留学するに当たって、現地での生活や、現地人とのコミュニケーションなど色々なことを想定して、一応心の準備はしていたのだが、肝心なことを忘れていた。

 

 

「そうか、まず他の生徒との関わりが先だった…」

 

日本の留学の会社が運営している学校なので、生徒はほぼ日本人(あとは韓国人がちらほらいた。)

 

迂闊だった。

日本人と関わることは想定してなかった。

僕は重度の人見知りである。

 

しかも僕が通う学校の方針で、校内では英語しか使ってはいけないのだ。

 

初対面の人と話すことがそもそも苦手なのに加え、英語縛りときた。超ハードル高い。

 

しかしここを疎かにすると充実した学校生活に支障をきたす。慎重にいかなければ…

 

 

生徒はほぼ日本人だが先生は全員フィジー人。もちろん日本語は通じない。

 

授業でわからないことがあっても日本語で聞けない。

わからない英語に対して、英語で質問し、英語で説明されるのだ。

これ授業成り立つの…?

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▲授業風景

 

色々縛りプレイというか難易度高め設定のルール。先が思いやられる…

 

 

 

 

しかしそんな不安要素も実際に生活を送っていると、大したことなんてないということに気づく。

 

 

他の生徒は見ず知らずといえど、留学という同じ目的をもった同志なのだ。

色々な価値観の人がいる中で同じ目的のためにここに集っている。共通の目的は仲間意識を生む。

 

そしてみんな不安だ。自分一人だけではない。不安を共有できる繋がり、みんな助け合える仲間なのだ。

 

 

先生も、僕たちが日本人で、慣れない環境での生活をスタートさせたということを勿論知っているし、そういう生徒たちを今まで腐る程見てきたはずだ。

 

難易度高めの縛りゲーかと思いきやそこは、みんなで助け合え、成長し合える空間だったのだ。

 

 

僕は英語は話せないけど、レベル毎に分けられたクラスなのでそれはみんな一緒。みんな話せない。

先生も僕たちに合わせてゆっくりと簡単な英語ではなしてくれはするのだが、、

 

 

そこで思うのは、

そもそも「言葉」というのは絶対的に必要なものではないのかもしれない。

 

 

言葉というのはコミュニケーションする上で使われるツールのうちの一つでしかなく、それは必ずしも万能であるとは言えない。

 

誰しも感じたことがあるであろう、「言葉でも伝わらない」という経験から分かる通り、

「言葉」というものは僕たちが思っているよりも、ずっと不完全なツールなのだ。

 

完全なものだと思い便利だからと乱用し、言葉に依存しているとも捉えられる。

 

大切なのは発する言葉そのものではなく、その根底にある想いなのだ。

 

 

 

 

と、自分の考えを長々と話してしまったが、、、

これは留学を通して身をもって体感した気づきだ。

言葉が通じないという環境に行かなければ見つけられない発見だった。

 

 

 

まあでも、そんな不完全なツールであったとしても、そこをはっきりと分かった上で使う分には、使えこなせるようにならない手はない。

 

そもそも語学を学びに来ているのだから「言葉は不完全!」とか言い出して授業を放棄したら元も子もない。笑

 

 

 

でもやっぱり、「勉強はめんどくさい」という意識は自分を含め、みんなの中にあるのではないだろうか。

 

学生だった頃を思い出すと、授業は退屈で難しいし、テストや課題に追われた嫌な経験しかない。

 

 

しかし、好きなこと、好きな分野について調べたりする時間は苦ではない。知的好奇心というものはみんな持ってる。人は知識を欲する。

 

 

本来、学ぶことは楽しいはずだ。

 

「学校」というシステムについても色々思うことがあるので、今後自分の考えを書くことがあることがあるかもしれないが今回は省く。

 

 

 

簡潔にまとめると、「学び方によるよな」となる。

 

楽しく学べば、苦ではないので続けられるし、自然と頭にも入る。学び方が大切。

 

 

 

そういった意味では留学は最高の環境であったともいえる。

 

 

日々の授業も、知識を一方的に詰め込んでくる日本の学校の授業環境とは全く違う。

 

席に座ってるだけでなくゲームやアクティビティ系の授業も行われるし、何より明るく陽気なフィジー人の先生の授業は面白い。

自然に楽しくなってくる。

 

放課後も、校庭で先生、生徒関係なくバレーなどをしたりする。

日本語を使ってはいけないので(まず先生に通じないし)自主的に英語を使うことになる。

 

 

「勉強をしている」というよりも「遊んでいる」に近い感覚で英語を学ぶことができる。

 

 

繰り返しになるが、「学ぶこと」は本来楽しいことなのだ。

 

仕事や人間関係など、社会は学びの連続だ。

 

勉強を楽しいと思えれば自然と知識は身につく。知識は人生を豊かにしてくれると思う

 

この感覚はとても大切だと思うので、忘れないようにしたい。

 

 

 

 

 

今回は文章量多めで、2000文字を目標に書いてみたのだが、やっぱりものすごく時間がかかる…

 

それに加えて内容に一貫性を求めるとなるとなおのこと難しい…

 

この「毎日ブログを書く」ということも、失敗して試行錯誤を繰り返したり、続けた行く中で新しい発見があったり、日々勉強である。

 

書いていて楽しいので、既に「楽しく学ぶ」を実践できてる。と思ってる。

 

 

長くなってしまったけど、最後まで読んでくれてありがとうございます!!

 

ではまた次回!